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北の街では もう~ [旅行]

この季節に成ると 吉田拓郎氏が作り、森進一氏が唄った

「襟裳岬」を思い浮かべ、口ずさんだりします。

ずいぶん前に成りますが、「襟裳岬」を訪れた時、まだ残暑の頃でした。

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確かに「何も無い」とは、都会的なもので、冬は大変だろうなと、

即理解出来たが、自然豊かな良い処でした。

島倉千代子さんの「襟裳岬」の歌碑で、大夫昔の事を思い出す。

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「襟裳」と、聞かれて、答えるなら「塩海鮮ラーメン」でしょうか。

それまで、「つぶ貝」を見たことも、味わった事もなかったので、

店の方に聞いて判りました。


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「つぶ貝」のだしが、それまで経験の無い衝撃的な風味で、スープは全部頂きました。

もう一杯お代わりしたかったけれど、我慢し(後に成ってひどく後悔するのです。)

同行の姉の飲み残しのスープを、姉が席を立ったとき、だまって頂きました。 満足。

モダンな博物館(風の館)が、ひっそり自然にマッチして溶け込んで私達を待って居た。

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近くの、土産物の店を、冷やかし半分で覗いたが、ごめんなさいで出てきた。

その点、女性は何かしか探しだして、買い物をする。

「車の中で食べるんだ」とクッキーみたいなものを購入した。

丘状の草原と灯台の白が、一枚の絵を見る感覚で、車を停めて、放心状態で、

しばらく眺めて居た。

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旨いラーメンで、満たされ(スープで)た身体は、程よい眠気を誘い。サイドを引いて、

レバーをドライブからPにして、リクライニングを倒し、目を閉じた。

陽射しも弱く、窓からの程よい浜風が小気味良い。


10分位だろうか、微睡みから覚め、背筋を伸ばす。

時間が止まったような風景が、再び目の前に現れたを。

我に帰って助手席に居る、年老いた母は、目を見開き遠方を見ていた。

「寝ちゃった」と云ったら「いいんだよ。こんなにいい景色は、沢山見ていたいからね」と

目を見開いたまま話した。

後部を見れば、同じく幸福な満腹感でまどろんでいる。

もう少し、自然に溶けて居ようと座り直した。


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11月末、きっと今頃、悲しみを暖炉で燃やして居るんだろうか。

燃やして暖を取る位の悲しみは、何れくらいのものだろうか。

来年の春過ぎないと、暖炉の火は消せないので、悲しみは早めに燃やし、

悲しみも枯れてしまい、幸せに冬を過ごせるのかも知れない。

悲しみが、燃やせる暖炉が有るなら、我が家にも設置して、家族が、

幸せに過ごせたら良い。

「北の街では、もう~」と聞くと、なんと云っても、

襟裳岬のラーメンが、思い浮かぶ。

もう、10年位前に成るのに、あの味が浮かんでくる。
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京都大原三千院 [旅行]

京都、大原とくれば、「三千院」です。

栂野(とがの)とくれば、「高山寺」。

永六介氏作詞、いずみたく氏作曲、唄はデュークエイセス「女ひとり」の

一節から「三千院」と「高山寺」が定番だった。


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         www.tabirai.ne

秋の京都は、格別なもので、視覚的体験が無いと判りにくい。

テレビのコマーシャルで、複数回観たことが有りますが、

数秒間の出来事は,一瞬の光景が、感激も間もなく

走り過ぎ去る。同じコマーシャルを数回観て、やっと心の中に、

空間的認識が成り立つ。


初めて観たら、それが何処なのか、理解出来ないのは何処でも同じ。

「何処だろう」から、なかなか脱け出せない。

たまたま、JR最寄り駅での広告「そうだ、京都へ行こう」

「三都物語」の、真っ赤に燃えた 紅葉は何処かでみた光景。

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        www.kokuken.net

更に、見覚えの有るたたずまいの門構えなのだが、感じが違う。

そう云えば、三千院の紅葉をみた事が無い。もみじを漢字で書くと、

初夏でも紅葉で紅くなる。

だから、5月のもみじは緑一色なので、漢字で書けない。

「緑葉」と書いて「もみじ」とは読めるのだろうか?緑色の中で見るのと、

燃える赤の中で見るのとは、感じ方とはいえ、趣が全く違う事に気が付く。

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          hima-seek.com2

手指を組み合わせるとき、何気なく組むときの親指が

いつもは右の親指が、左の親指の下だったのが、上だったときの

違和感の様な感覚である。


ただ、燃える赤の中で観ると、言葉に成らない位の感動が有る。

佛の世界(往生 極楽院)の 「しゃば」から階段を降りて、庭にでると、

十二分に手入れの入った庭の風情が、別世界と思える。



我が家の雑草の光景が「ふっ」と思い浮かぶ。

可愛いね、綺麗だね等と、思い付きのまま、

店先で埋もれた花を選び、水やりが手に負えなく

成って地植えしてしまうものだから、秩序も何もなく、

ただ、種類だけ増えていく。

せめて種類も群をなす位なら、秩序に近付く。

もともと比べるべき次元に無いことを肝に銘ずべきであるのだが

お構い無しに増えていく。

それまでに集めた花の結果が、庭先に積まれた素焼き小鉢の数が

物語っている。

その不用に成った鉢さえ処分するのも、手を抜いた結果である。

十分に手が入った、山水は遠近を考慮し、

検討された結果で、歴史ある、いにしえの都の一端であろうか。



足元の一面に拡がる苔でさえ、みごとに生を保ち 

存在感を誇示して居る様に見える。

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         huukeiya.exblog.jp

一度は紅葉に染まった景色の朱雀門を観たいと思うが、

一夜の宿の心配が、行く手を阻む。

やはり、いにしえの京の都で、日本人の心の

故郷なのだろうか。


「京の都」の響きが良いし、何の濁りも無い。

ところで、東京都も濁りは無いが、

実は「ひがしの京都」なので「にし」「きた」「みなみ」なら濁らなかった。

「にし(せい)きょうと」「きた(ほく)きょうと」「みなみ(なん)きょうと」も、

なにかピンと来ない。

慣れのせいか「とうきょうと」が良い。

もっとも、初めは「東京市」、次が「東京府」でした。

もし、大阪が都構想で「都」が付くと、

「大阪都」となるのでしょうか? 

何か歯切れが悪い。それこそ、京都の南なので、南京都? 

何か合わないし、大阪の人達から、総スカンでしょう。

だとしたら「都大阪」にすれば、語呂が良い?

今一でしょうか。 ムズかしい。

何故か「京都府」は、ピッタリしている。

歴史でしょうか、決して良いことばかり有った訳でも無く、

ドロドロとした、血で血を洗う様な、人々の争いの 中心地でもあった。

「府」は、馴染みが良い「ふ」は、相性が良すぎる。

「太宰府」も合う、府県の「府」と違うが合う。


でも、「京のみやこ」が、何故か、馴染みが良い。

今年も、又、行き損なって

「紅葉」で、燃えた「朱雀門」が、想像の中に広がります。


銀座通りは、銀座では無い。 [旅行]

今も昔も銀座は銀座日本の至るところに○○銀座が存在する。

それはその街で、一番人通りが多い位の意味なのだと解釈する。

一分銀等の貨幣を作ると云う本来の意味等、何も関係なくても

それはそれで良いんです。小判を作った金座があるはずだけど、

○○金座より、何故か、銀座なのですね。

金より銀、庶民には、高価な金より銀の方が、馴染みが良いからなのでしょうか?

庶民にとって馴染み易さからいえば、一文銭で一文銭は銅ですから

銅座も有った筈でしょうけど。 どうでしょう。

銀座も戦後、焼け野原から今まで、想像も付かない位の変化が有り

その変化の陰に様々なドラマが有ったことでしょう。

地方の銀座通りも、大型郊外店舗の進出で、商売がたち行かなく成り

シャッターが下ろされ、隙間だらけの商店街に成ってしまった。

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            komasai.blog116.fc2

現在は、車社会で、歩くことが面倒な人達は、

駐車場の無い銀座通り商店街より

広い駐車場が有って、いつでも買い物が楽で、重たくても、

車迄とか、車から自宅迄なら、 それほどの苦痛では有りませんから。


今では、道路交通法が改正され、路上駐車が出来なくなって、

チョットの買い物も出来なくなり、駐車場が無い銀座通りは、

敬遠されてしまう。

道路幅が無い通りは、歩く人達だけにしか、商売が出来なくなってしまい、

道路交通法が、大型郊外店舗の味方をした形に成ってしまった。


例えば、大分前のことですが道路に面した、「旨いうどん屋」が有った。

道路交通法が変わる以前は結構、繁盛していたが、道路交通法が変わって

うどん屋の前を通ったら、閉店していた。うどん屋さんは、

どんな思いで店を閉じる決心をしたのだろうか?

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       arakawa102.publishers.fm   

道交法が原因だけとは限りませんが、車を利用して、仕事をしていると、

路肩に車を停めて 旨いうどんを、短時間で食べられる事は、極便利でした。


今では、駐車違反は1万6000円ですから、馬鹿に成りません。


そんな時、思うのは 「 駐車場が近くに有れば良いのに、

駐車違反は嫌だし 」と、独り者の場合、車に乗って、

待ってくれる人等居ないのです。

せめて、各地各所の道路上に駐車スペースを有料で良いので、作って欲しい。

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            akabane.alpha-homes.com         

銀座通り商店街前の道路は、その辺りを、考えて、何か上手い

駐車方法が有れば 商売も、やり易いのでは無いだろうか。


高齢者には、大型スーパーより、なじみの銀座通りの店が肌に合っている。

広い売り場は、どこに何が有るか、忘れていて、右往左往するだけで、

かなり疲れる。

若い人達には、たのしいショッピングでも、1フロアを、見て歩くだけでも

かなりの時間が必要で、必要なものが外れに有るとギブ・アップ。

そこへ行くと、ミニ・スーパーは 安心して買い物が出来る。

身近で、温もりのある銀座通りの店が復活して、

にぎあう人達を 見てみたい。

私の ささやかな グルメ旅 その1 [旅行]

「私の ささやかなグルメ旅 その1」

東京メトロの新木場行き新富町駅で、4号車2番ドアで降りると 

階段と昇りエスカレーターが直ぐ近く目の前に有る。

エレベーターは5号車4番か6号車1番ドアが近く、エレベーターの前ホーム広場には 

ベンチとドリンクの自販機が設置されて居る。

エスカレーターの左側に立って昇りきって、右側に向かい階段から昇って来た人を避けて 

更に右側に向かうと中央区役所や銀座ブロッサム側改札口です。

反対側は銀座キャピタルホテル側改札口を出て左側通路には、ベーカリー(HOKUO 

パンドリンクセットが売り)が有り、コンビニ(ローソン)とトイレ(区役所側からも通路から行ける)が有る。

区役所側改札口からスイカ(Suica)をかざし、通過して左側に切符自販機(券売機)が有り 

少し先左側には、証明写真ボックスが有る。

30メートル?位でT字を左側に進むと、右手にエスカレーターと階段が見えますが 

左側に少し狭い通路の突き当たりにエレベーターが有ります。

新富町駅で地上に出るエレベーターは、この一基だけです。

エレベーターに向かい、残念なのが、10メートル位手前のところで、ドアが閉まっている時 

走るかどうか、とても迷うのです。

地上階の乗降客がボタンを押したら、動き始めてしまうし、乗降客が居なければ間に合うので 

走るが、ボタンにほんの少しのところで、エレベーターが動き始めてしまった瞬間

「 エェーッ!嘘だろー 」 と心の中で叫ぶ。

自分一人なら良いのだが、背後に人の気配がある時、背後の人の心の中の声

「 あっ、残念 」 が分かり、聞こえる様で、何か気まずい思いが残る。

もちろん、通路を曲がったとき状況を見ているので、様子は判って居るのだが、曲がって

エレベーターを見た瞬間、こちらに近づく人が年配者で、その位置で内部照明が消えている。

まだ動き始めてはいないが、年配者の歩くスピードから時間を予想して、走るかどうか迷い

背後の状況も気にする。

時間を気にしない時は、そんな事を考えもしないが、それでも、背後から走り追い越して

ボタンを押して間に合った時は「どーも」と声を掛けて乗るが、心の中で「この人は

「 お前が押せよ 」 と思っているな 」 と感じ 「 ばつ 」 が悪い。

かたやエレベーターを使わず、エスカレーターで昇って行くと、途中から階段に成ってしまい

段数が可成りあり「ウソー」と、云っても引き返すには、エスカレーターが無いので

歩くしか無いのだが歩くなら、昇るしかないと「覚悟」して昇る。

階段を昇りきると、正面には「銀座ブロッサムの建物とロゴ」が目に入るが

そのまま視線を下げると、そこは三吉橋で、その下は、昔、川であった川底部分に

首都高の本線が通って居る。

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「私の ささやかなグルメ旅  その2」に

続きます

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私の京都 歌麿 山口智子嬢の ふるさと [旅行]

「ふるさとは 小京都? 小江戸?」

京都と云えば、昔は「小京都」と云われて居て、秋祭りの山車(だし)が

京都三大祭の一つ、葵祭の山車並みのものだと、聞いて居た

我が、ふるさとを想い出す。

実際、見たのが幼い頃で、はるかに見上げると、きらびやかな

衣装の人形が、大きく立派に見えた。
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今では整備が進み、電力線や電話線が地下ケーブルに成って居るが

以前は、山車上部の人形に渡りの電力線が当たらない様に

もち上げる木製の、丁形の持ち送り?で、山車の上で作業する

人達の方が、なにか格好良く見えていたのを思い出す。

確か「 天照大神 」、「 神武天皇 」、「 日本武尊 」、「 弁慶 」

「 静御前 」、「 仁徳天皇 」等だった。


当時は、何も判らず、「へー」と、ただ感心して見ていた。

各町内が、それぞれの山車を保有していて、今でも全部で12基位

( 以前は20基 ) 有る様です。


最近は隔年ごとの秋に、開催していると、聞いています。

その街は、俳優唐沢寿明氏夫人で、女優の山口智子嬢の実家の有る

歴史も有る街です。

昔は、河川運輸で栄えていたらしく。

河川運輸関係者が、鉄道が通ると業務が成り立たないと云う理由で

東北本線鉄道を排除した為に、県庁まで逸したと、聞いていた。

「路傍の石」の作家で、有名であった、山本有三氏の生家と墓地が有る。

有名な文豪 「 山本有三 」 と云われても、今の人達には、余り馴染みが

無いのかも知れない。

今では、「 お笑い 」 芸人が [ 芥川賞 ] を、もらえる時代に成っている。

それだけ、時代が進んで、多才能の人達が、増えて来た事だと判る。

そんな「 小京都 」は、寂しく県庁堀と旧市役所が残り、堀は、鯉の

住みかとして残っている。


以前は、この県庁堀の内側に、第二小学校と、県立男子高等学校があり

堀を隔てて、第一小学校が並んでいて、何故、こんな近くに並んで

有るのか、昔から疑問でしたが、現在は第二小学校が廃校に成って

その跡地に、中央小学校が創設され、第一小学校も無くなる様です。

今では、旧市内の中央部に「 山車会館 」が有り、いつでも拝観できるのが

うれしい。

日本各地に「 小京都 」が有り、それぞれ雰囲気は見逃せないものが有る。

ところが、いつの間にか、我が故郷の「 小京都 」が「 小江戸 」に

変わって居たのです。

先日、テレビドラマで主演の水谷豊氏が「 浮世絵師 」の「 歌麿 」を熱演して

アクションや作品が、大いに楽しめました。

「 歌麿 」が、我が故郷に、因縁があり、駅に近い通りの名前が

「 歌麿通り 」でしたし、「 歌麿 」の件を、最近迄、知りませんでした。

( 市民の皆様は、ご存じでしょうか? )

更に、「 グランドホテル 」の隣に、「 歌麿館 」 が有り 「 女達磨図 」

「 三福人相撲の図 」 が有るらしく、入場料は無料みたいです。

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車の場合は、近くの 「 蔵の街 駐車場 」 ですが、 「 蔵の美術館 」

利用で、駐車無料だそうです。

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「 浮世絵、歌麿 」だから「 小江戸 」ですか?

嘘でしょう。                  歌麿2.jpg


「 小京都 」で良いでしょう。

調べると「 歌麿 」は、本家の「 京都 」で、誕生した様です。

「 私の故郷は「 小京都 」だった筈が、「 小江戸 」って、武州川越も

「 小江戸 」なのです。

やはり、現在は東京が中心なのが、原因なのかもしれないけれど

「 東京 」は、「 東の京都 」なのだから、「 小江戸 」では無く

「 小東京都 」なのでは無いだろうか。 なんて。


かくいう私は「 小京都 」から「 東京の下町 」へ、そして現在は

「 小江戸 」に、籍が有る。

本来は「 小京都[→]江戸[→]小江戸 」だったが、今では「 小江戸[→]江戸[→]

小江戸 」である。

その「 小江戸 」は、70キロメートル以上離れていて、「 野州 」と

「 武州 」なのです。

つまり、「 江戸 」を、中心にして「 不等辺三角関係 」に成って居た。

だからと云って、我が故郷には変わりが無いのです。


故郷に居た頃は、平日でも人通りが多かったけれど、最近では

日曜日でも、人通りが少ない様に感じ、寂しく思い、活気の有る

故郷に成って欲しい。

この街は栃木県栃木市です。
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どこか お洒落な お風呂屋(銭湯)さん [旅行]

ところは東京都銀座一丁目、昭和通り新京橋の上野方面交差点を

左折して、初めての交差点、右側手前の角はファミリーマート

自動車は一方通行出口につき進入禁止。


徒歩で進むと上方に首都高速道路が見える。その手前左側に

「銀座湯」の看板が見える。

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一段上がった左側に間口一間(180センチメートル)の

引き戸が開き 「のれん」 の下がった入り口があり、正面には

雨の日用の差しキー付き傘立てと飲用自販機がある。


右側が女性用で、左側が男性用、つまり「男湯」壁面が下足箱で

スモーキープラスチックの扉に、靴をいれる。

上がりがまちは60センチメートル (2尺) 位の踊り場で

引き戸を右に引き、一段上がり、中に入ると右側に番台が有る。

「いらっしゃい」 と、少し年配の婦人が声を掛ける。

割りと気さくな感じで 「ほっ」 とするが、たまに、この婦人の

娘さんか?と、おぼしき女性が番台のときは 

「もうチョット、愛想良くできませんか」 と、心の中でつぶやく。


大人は460 円で、ロッカーの鍵を渡されて、階段を上がる。

ちなみに御婦人は、1階です、興味有って、聞いたことには

洗い場の壁画は、花火だそうです。

一度観てみたい。

番台には、石鹸 ( 1センチ×3センチ×5センチ位で30円 ) や

髭そり (自前なので価格不明) 、貸しタオル (自前なので

価格不明 ) もある。


ただし、洗い場には、ボディシャンプーとリンスインシャンプーが

用意されて居る。

板張りの階段を上がり、上から3段位で右に曲がると、脱衣場が

広がる左側に、右開きドアの中はトイレで、暖房便座付きウォシュ

レットタイプが一基でドア側を向いて座るか、ドアに背を向け立って

用を足す。 奥行きは有ります。

春、桜の時期には窓から満開の桜を見た記憶が有りました。

窓の下は樹木の多い公園に成っていて、サラリーマン等が、喫煙していて

都会の安らぎを満喫している。


脱衣場の右側は、洗面台、ワンレバー蛇口で左側が湯、右側が

水に成っていて、飲用水の専用蛇口も有り、ヘアードライヤーが

有料 ( 20円 ) ですが、余りロンゲでなければ、使用時間が余る

位で、壁面は一面鏡。


脱衣場の正面がシリンダー錠のロッカーで、中央にもロッカーが

有り、必要なら、番台で2箇所借りられました。

ショルダーバッグと手提げバッグだと、1箇所では足りなく、更に

冬場厚手のコート等が有ると2箇所でも足りないが、3箇所借りる

勇気は無いので強引に押し込みます。


鍵はゴムリング突きに成っているので、足首に着用。

天井にエアコンがあるが、窓の上部に扇風機が有るが腰掛けに

乗らないと、スイッチに届かない。

窓の外はアルミルーバーで見えなく網戸に成っているが

高速道路の出口スロープに成って居る。


脱衣場の左側ロッカー奥に飲料水自販機が設置してある。

中央ロッカーは上下2段で上部中央あたりにうちわ立てが有る。

脱衣場左側トイレの先に、引き戸が有り、戸口の右側に台式

体重計が有る。

引き戸から入ると壁面と天井の明かりが多く、一番風呂だと

まだ外が明るいので、何か勿体ないと感じてしまう。

中央カラン部と左右の壁面にガラス窓が有り、アルミルーバーと

網戸の組み合わせは脱衣場と同じ。


お待たせしました。

浴室の引き戸を入った正面に、銀座4丁目交差点の風景が細かい

タイルで、まるで点描された様は、一見の価値が有り

初めて観たときは何か感動に浸った。

そして、その下の湯に浸った。


そうです、ここが「 どこか お洒落な お風呂屋(銭湯)さん 」です。

湯船の左側は、仕切りの右側より浅いが、壁面側からジェット

噴射口2個 ( 1人の背中用 ) が、3人分有り、湯循環用吸い

込み口が浴槽端に有り、その上外部に丸ゲージ温度計が有る。


ジェット噴射を背に受けて湯に浸かると足側に、腰掛け用の段が

有り( 入り口を背にして、この段に手を支えて、ジェット噴射で

足裏マッサージは、心地良い )入り口側を見ると、左側仕切りの

向こうに深い湯船が有るが、仕切りに水蛇口が深浅両湯船に

設置されている。


種々な人が浸かるので、文句も云えないが、湯温に慣れて

「ぬるく」 感じて居るところに、後から来て

熱さも確認しないで、水をさす。

余りに長く水をさして居るときは、たまらず 「 ぬるいですよ 」 と

声を掛ける。

左右の窓下カランには、洗髪用の蛇口付きシャワー、もちろん

ひげそり鏡は1面に装備されている。


洗い用の桶は黄色いが 「ケロリン」 の赤い文字は無く

座椅子は高いものと低いものが有る。

以上が「銀座湯」の一通りの説明ですが、中央区内の

銭湯で、月の第2と第4の金曜日は100円で利用 出来て

普段は、さら湯 (入浴剤無し) ですが、この日は

月変わりの入浴剤入り 「おふろ」 に成ります。


やはり、銭湯は広くて気分が良いし、顔馴染みに成ると

何か身体にフィットして、居心地が良く成る。

別に宣伝するつもりはサラサラ無いが、「 銀座湯 」の壁画は

一見の価値が有ると思います。

一度で良いので、女性用の壁画を湯に浸かりながら実際に

観てみたい。
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海は荒海 向こうは佐渡よ すずめは居ない [旅行]

以前 越後の海岸線を旅したことを思い出す。

新潟の出雲崎に有る、 [ 了寛堂 ] は、新潟で何故か出雲。

何で出雲なの?

出雲は鳥取ではないの?

そう云えば、松本清張の「 砂の器 」で、「 ズーズー弁 」の話が有った様な

記憶が有る。

「 ズーズー弁 」と云えば東北地方だけど、東北弁と云っても

各地方でも違うでしょう。

青森には津軽弁、秋田には秋田弁、山形には山形弁など各地方の

独特な言語が有るから、恐らく「 ズーズー弁 」だけでは解決出来ない筈で

栃木県の「 ベーベー 」と 茨城県の「 ぺーぺー 」との違いも、地元に居ると

判るが、他県の人には区別が付きにくいべー。 そんなことないっぺー

「 栃木言葉の、「 べー ] を取れば、「 なべ 」や 「つるべ 」は、どうするべー 」



関西弁にしても、関東の人には京都弁を除いて、どの辺りなのか全く、判らない。

「 砂の器 」では、確か「 ○○駅 」が、東北に有って、それがキーワードに成り

調査するが、探しても「 ○○駅 」が無く、調査が難航するが、出雲地方にも

「 ズーズー弁 」が使われて居ることが判り、「 ○○駅 」が有ることも判り

事件解決の糸口に成る、確かそんな内容だと記憶している。

少し以前に、北野たけし氏が刑事役で、演じて居たのを、思い出す。

ハッキリしたことは、詳しく調べないと判らないが、勝手に想像すると


昔、北前船が繁栄していた頃、東北の人が、鳥取に何等かの理由

(東北の女性が多数嫁ぐ等)で、言葉がもたらされたと考えれば、判り易い。


又、出雲崎辺りは良質な砂鉄が採取出来るらしく、「 どじょうすくい 」の

安来節は、元々は「 出雲節 」らしく、出雲市辺りは、砂鉄が産出され

「 たたら 」製鉄が、弥生時代辺りから始まった様です。


しかも、江戸時代後期には、盛んに行われて居た様です。

この出雲の「 たたら 」製鉄方法が、出雲崎付近柏崎には「 軽井川

南遺跡群 」に、有るらしく、出雲市から出雲崎と云う製鉄方法が

陸路ではなく、海路からのルートで、伝わったとしたら

「 ズーズー弁 」とも、リンクしていた。 なんて想っただけで、楽しい。


了寛様は、農民達の生活に添った、自らの生き方を通して、分りやすく

仏教を広めた様で、農民達には絶大な人気が有ったみたいです。

「 了寛堂 」は、広くゆったりした広場に、建っていて雑草等が無く

穏やかに晴れた秋の日、石積みに腰を、下ろし目の前に広がる

日本海の海原を、眺めて居ると、「 了寛様 」が生きた時代と同じ様に

恐らく左程、変わりのない景色が、ただ広がって居た。

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売店も何もないので、手持ちのペットボトルから、口の中に水を

流し込み、のど越しを感じ、何も考えず、空の心で海を見て居た。

時間の過ぎて行く事も忘れて居た事を、懐かしく想いだした。

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たのしみバス 旅 行 会 [旅行]

だいぶ昔の事ですが、敬老会のバス旅行の、お世話をした事が有る。

その時、性格が人それぞれである、当たり前の事を、改めて感じた。

朝早く支度を整え、朝食もそこそこに、バスが来るであろう場所に

いち早くたたずんで居る。


「 お早う御座います。バスが来るまで、まだ1時間近く有りますので

ホテルのソファーで、楽にしてお待ち下さい。

バスが来ましたら、お声掛け致しますので、ご安心下さい 」 と

声を掛けても 「 天気も良いし、外の方が気持ち良いから 」 と

動こうとしない。


理由を尋ねると、 「 私は脚が悪い ( 腰が悪い ) から、他の人より

歩くのが遅いので、待たせて迷惑を掛けたくないから 」 と

答えてくれた。

その時は、そんなものかと納得したが、中には、「○○さんは

どうしたんだろう 」 と、探すと 「 あら、ごめんなさい、まだ大丈夫だと

思っていたわ 」 と、ホテルの売店で、土産の品定めをしている。

そして、会計をすませてから 「 ちょっと待ってて、トイレに行って

来るから、これ持ってて 」 と、慌てる様子もなく平然と歩いて行く。


団体客の場合で、特に気を付ける事は、転倒等の事故であり

エレベーターが当たり前の時代からは考えられない事ですが

旅館と云うのが一般的宿泊施設だった頃。


階段から転倒する事も多く、気の休まる暇も無いが、原因の一つに

スリッパが有った。

特に、小柄な女性の場合は足のサイズも小さく、更に、ソックスや

ストッキングなどを着用していると、ちょっとした事で脱げてしまい

階段で事故になってしまう。


近頃は、ホテルが一般的になり、スリッパは部屋の中で履き替えて

館内は土足のままが普通になった。

リゾートホテルの場合は、スリッパで館内の至る処まで行けるが

階段は使わずエレベーターでの移動なので、以前の様な階段からの

転倒事故は少なく成った様です。


年配者に成ると身体的に、若い頃に比べて、動作が緩慢(かんまん)に

成るため、自分の為に遅れてはいけないと、早目に準備しなければ

成らないと、真剣に考えて居る様だ。


また、旅行に出発する前、同行しない家族から 「 皆の迷惑に成らない

様に、気を付けてね 」 と、念を押されて居るので、もう頭の中は

強迫観念が、植え付けられてしまい、旅行中常に付いて回る。

何の為に旅行に出掛けて来たのか、判らない状況に成って居る様だ。

本人に 「 強迫観念 」 を植え付けるのでは無く、本人には 「 ゆっくり

楽しん来てね 」 と話し、添乗員さんやバスガイドさんに、注意点を

伝えてもらった方が、本人も楽しめるし、添乗員やバスガイドさんも

ピンポイントで気を付けて見られるので、安心出来る状態なのです。


参加された人達が、にこやかで楽しんで居る姿を見て居られる方が

結果的に、良い結果をもたらせる状況であると思うのです。

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今年の夏は どうしたの? 栃木で災害 [旅行]

7月、こんなに暑くて今年の夏はどうなるのか、心配だったが

10月に成って振り返ると、真夏の暑さも無く、残暑も無い。

電力量もセーフ ( 九州を除いて原発稼働無しで、化石燃料使用量も

減り太陽光発電も有効であったと、云う事だった ) 。

ただ台風被害や秋雨被害で終わった感じです。

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被害を受けた皆様方
     心中を、お察しし
           心からお見舞い申し上げます。

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先日の、鬼怒川氾濫は他人事では無かった。

故郷の栃木市から、半世紀前に移転したが、祖先の墓が有るので

一年に2回、春と秋の彼岸には、墓参に帰郷する。


その、墓参の後、必ず行う、イベントが有る。

寺の近くに、巴波川(うずまがわ)が流れていて、川に住む「鯉」達に

川岸の商店で、一袋100円の「 鯉のエサ ( 乾燥した食パンの

耳を、1センチ位に刻んである ) 」 を、購入し 川面にバラまくと

鯉達が、勢い良く ( 水しぶきを上げながら ) 集まってくる。

       今年の鯉1.jpg

いっせいに口をパクパクして、水とパンを同時に飲み込む

その様子を良く見ると、まずエサを発見したら、エサ方向に

口を開けて素早く 移動するが、どうみても、エサを直視出来て

居ない様に見える。

それは鯉の目が、体側面に付いて居るからで,エサ直前では

「 寄り目状態 」にしても、エサを見ることが出来ず、1個のエサに

一団の鯉が、口を開けて、水を飲み込むだけで、偶然,上手くいけば

エサが飲み込める事に気が付いた。


それまでは、1~2個投げ込んで居たのだが、それからは、一握りずつ

撒く事にした。


集団の中に、数匹の緋鯉が混じっていて、緋鯉の前にエサを撒くが

口を開けてエサに近づく、瞬間、脇から別の鯉が、その緋鯉に

体当たりして、エサを横取りしてしまう。

そうなると、「 判官贔屓 ( はんがんびいき ) 」が、頭を持上げる。

緋鯉の行動を先読みして、エサを前方に投げる事に集中する。

緋鯉が予想に反して、エサの前で、きびすを返して、ターン。

5~6回狙って、1回成功する位の勝率でしょうか。


そうなのです。

鬼怒川氾濫と同時期に、栃木市の永野川、巴波川が氾濫したと

ニュースで知り、栃木駅前浸水、市内のメイン道路が濁流で

溢れ流れていたのを、動画で見て大変な出来事だと思いました。


民家も心配だったけれど、「 鯉 」 達がどう成ったか、とても心配で

道路に「鯉」が、泳いで居たとネットの書き込みを見て、「 オイ、

オイ大丈夫? 」 と、写真を見たところ、1匹だったので、少し安心した。

実際のところ、殆どの 「 鯉 」 が下流に流されてしまったのだろうと

覚悟して居た。


9月23日、秋の彼岸に、いつもの様に、市内を車で通過したとき

12日位経って居たせいか、浸水が有ったなんて思えない位で

普段通りの家並みでした。

寺 ( 「 源氏の白旗 」 の旗かけ桜で有名 ) には、いつもの秋の

彼岸の様に、各家の先祖の塔婆が数百枚並べて有る光景であった。

墓参を済ませて、「 恐る恐る  川岸に近づき川面を見たら

「 鯉 」 達が何事も無かった、いつもの様に 元気に泳いで居た。

「 無事だったか、良かった、良かった 」 と、安堵した。


聞けば、「 川底は案外安全なのかも 」 と云う。

確かに、落ち着いて考えれば、「水力学」で、水路の底は、流速 「 0 」

( 流れが無い状態 ) だった事を、思い出した。

そう云えば 「 鯉の滝登り 」 って云うので、案外大丈夫なのだと思い

成る程と納得した。

ただ、いつもより、流れる川水の透明度が増して居る様に感じました。

溢れる位の水量が、一度に流れたせいか、川に溜まった汚れまで

流れたのが原因なのでしょう。


「 水清ければ魚住まず 」 と、云うのが気になるが、元気そうで

今更ながら 「 自然に生きる生物のたくましさ 」 を、思い知る、結果と成った。



被害に遭った人達が、1日でも早く、

 安心して日常が送れる様に

          成れます事を、祈ります。

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