SSブログ

京都大原三千院 [旅行]

京都、大原とくれば、「三千院」です。

栂野(とがの)とくれば、「高山寺」。

永六介氏作詞、いずみたく氏作曲、唄はデュークエイセス「女ひとり」の

一節から「三千院」と「高山寺」が定番だった。


        www.tabirai.ne.jpg        
         www.tabirai.ne

秋の京都は、格別なもので、視覚的体験が無いと判りにくい。

テレビのコマーシャルで、複数回観たことが有りますが、

数秒間の出来事は,一瞬の光景が、感激も間もなく

走り過ぎ去る。同じコマーシャルを数回観て、やっと心の中に、

空間的認識が成り立つ。


初めて観たら、それが何処なのか、理解出来ないのは何処でも同じ。

「何処だろう」から、なかなか脱け出せない。

たまたま、JR最寄り駅での広告「そうだ、京都へ行こう」

「三都物語」の、真っ赤に燃えた 紅葉は何処かでみた光景。

        www.kokuken.net.jpg
        www.kokuken.net

更に、見覚えの有るたたずまいの門構えなのだが、感じが違う。

そう云えば、三千院の紅葉をみた事が無い。もみじを漢字で書くと、

初夏でも紅葉で紅くなる。

だから、5月のもみじは緑一色なので、漢字で書けない。

「緑葉」と書いて「もみじ」とは読めるのだろうか?緑色の中で見るのと、

燃える赤の中で見るのとは、感じ方とはいえ、趣が全く違う事に気が付く。

          hima-seek.com2.jpg
          hima-seek.com2

手指を組み合わせるとき、何気なく組むときの親指が

いつもは右の親指が、左の親指の下だったのが、上だったときの

違和感の様な感覚である。


ただ、燃える赤の中で観ると、言葉に成らない位の感動が有る。

佛の世界(往生 極楽院)の 「しゃば」から階段を降りて、庭にでると、

十二分に手入れの入った庭の風情が、別世界と思える。



我が家の雑草の光景が「ふっ」と思い浮かぶ。

可愛いね、綺麗だね等と、思い付きのまま、

店先で埋もれた花を選び、水やりが手に負えなく

成って地植えしてしまうものだから、秩序も何もなく、

ただ、種類だけ増えていく。

せめて種類も群をなす位なら、秩序に近付く。

もともと比べるべき次元に無いことを肝に銘ずべきであるのだが

お構い無しに増えていく。

それまでに集めた花の結果が、庭先に積まれた素焼き小鉢の数が

物語っている。

その不用に成った鉢さえ処分するのも、手を抜いた結果である。

十分に手が入った、山水は遠近を考慮し、

検討された結果で、歴史ある、いにしえの都の一端であろうか。



足元の一面に拡がる苔でさえ、みごとに生を保ち 

存在感を誇示して居る様に見える。

         huukeiya.exblog.jp.jpg
         huukeiya.exblog.jp

一度は紅葉に染まった景色の朱雀門を観たいと思うが、

一夜の宿の心配が、行く手を阻む。

やはり、いにしえの京の都で、日本人の心の

故郷なのだろうか。


「京の都」の響きが良いし、何の濁りも無い。

ところで、東京都も濁りは無いが、

実は「ひがしの京都」なので「にし」「きた」「みなみ」なら濁らなかった。

「にし(せい)きょうと」「きた(ほく)きょうと」「みなみ(なん)きょうと」も、

なにかピンと来ない。

慣れのせいか「とうきょうと」が良い。

もっとも、初めは「東京市」、次が「東京府」でした。

もし、大阪が都構想で「都」が付くと、

「大阪都」となるのでしょうか? 

何か歯切れが悪い。それこそ、京都の南なので、南京都? 

何か合わないし、大阪の人達から、総スカンでしょう。

だとしたら「都大阪」にすれば、語呂が良い?

今一でしょうか。 ムズかしい。

何故か「京都府」は、ピッタリしている。

歴史でしょうか、決して良いことばかり有った訳でも無く、

ドロドロとした、血で血を洗う様な、人々の争いの 中心地でもあった。

「府」は、馴染みが良い「ふ」は、相性が良すぎる。

「太宰府」も合う、府県の「府」と違うが合う。


でも、「京のみやこ」が、何故か、馴染みが良い。

今年も、又、行き損なって

「紅葉」で、燃えた「朱雀門」が、想像の中に広がります。


現場 の なげき [雑感]

先日から、マンションの基礎杭の長さが足りなかった

問題が、話題に成って居る。

業者の方達には、違う思いが有るでしょうが、あえて書きました。

この問題は、たった数人の現場で作業した人達が、犯した罪である。

「罪」と、云っても自ら好んで犯した「罪」では無い事は判っている。

やむにやまれず犯した「罪」である。

どこかの定期バスの運転手が、長い間 終点迄行かず、折り返して居た

ケースとは違うと、思います。

いや、思いたい。

結果には必ず原因が有る。


物理的に云えば、寸法が足りなかった事、その原因は杭打ち位置の

岩盤迄の深さ測定誤差か杭の寸法ミス。

見えないから、起きる問題、でもある。足りなかったら足せば良い(現場調整)、

又は、やり直しです。

それが出来なければ(費用面と納期面で)、トボケルしか無い。

施工者だけしか知らないし、データだけ改ざんして置けば、判らない。


判る迄に、時間が掛かる。(大きな地震でも無ければ、問題無い)

地表から見ても判らないのだから、あとは「運を天に任す」運が良ければ、

永久に判らない。

有ってはいけない事であるが、今回の事は、運が悪かっただけ。

こんな、考え方をさせてしまう様な経営にも問題が有る。

寸法ミスは、余程の事が無い限り起こらない。何故かと云えば、地上で測れるから。

地下の見えない岩盤の状態は、ボーリング等で調べるが、位置がほんのわずかでも

ずれたら、どうなって居るかなんて判らない。

じゃがいもの芽の部分は、肌面から凹んでいる。

もともとじゃがいもの外形は平らでは無く、岩盤なんて、じゃがいもと同じ様なもの。

もっとひどく、岩が有ったりする。

超音波等で状態を見ても、誤差は無くならない。見ないよりは良い。

吉村作治先生が、エジプトの地下で遺物を探す時と、同じであり、大きなものは探しやすい。

確かだろう寸法で杭をつくっても、真っ直ぐに打ち込めるとは限らない。

斜めに打ち込んだら、寸法は足りなく成ってしまう。

長ければ長い程 狂い易く、鋼管でも長いと曲がるのです。

シェールガスは、日本の厳選された鋼管を地下に垂直打ち込み、途中から曲げて、

シェール層(頁岩層)に、水平に押し込むのです。

この場合、鋼管が曲がらなくては成らない。品質が悪ければ、曲がり部分で

割れてしまいます。

割れたらガスもオイルも漏れてしまいます。細くて長ければ、曲がりますが

(注射針は曲がります)、太くて短いと曲がらず、直径と長さの比率で考えます。

つまり、地中の事は、「確かであろう。」なのです。

土木現場で、厄介なのは、地下水でしょう。


今は電気の力で、抵抗値を測定して、「確かであろう」を 確認して居る様です。 

これ等の現場仕事の内容について、ゼネコン等の経営者達は 理解しているのだろうか?

(「必要な場所に、正しく打ってます。」との話や書面を丸呑み) 

経営的に見て、落札金額から、予算と納期を決める。

経営的には見積り金額より低い金額で、入札する。

取り敢えず落札する事が最大目的で何よりも最優先し、仕事をとる。

見積りより低い金額で落札したら、後は落札した金額から、利益優先した後の、

金額に収まる様に、帳尻を合わせ、しわ寄せは現場に来る。


トップダウンですから、上から利益先取りしていくと、実際に施工する会社には

ギリギリの金額が来る。


これが体質なので、変わらない構図でしょう。

何かを作る事は、口先だけでは出来ないのです。

「金が有れば、何でも出来る」と云う人達には、到底理解できない

世界かも知れない。

全て話や紙、PCのモニター上で、物事を決めて居る。

(絵に描いたボタ餅を、食べられる様にする。)それでも、気に成れば、

コンサルタント等から、話を聞いて納得してしまい、経営している。

コンサルタント自身が広範囲の現場(3Kと云われる)掘削地下や

鉄板を敷いた道路の下等の工事現場を経験をしているかどうか。



樹脂製品なら成形現場、金型成型現場、金属製品ならプレス現場、

切削現場、縫製なら縫製現場等キリがありません。

現場は無数に有り、それぞれに独特なノウハウが有り一朝一夕で身に

付きません。それなりの技術的な裏付けが必要なのです。


それは、見よう見まねではなく本質を見極められる力量が必要なのです。

10年以上前の事です。その頃3次元設計が、主流に成りつつあり、

バリバリモデリングの仕事を、こなす人が居て、モデリングについて

他人に教えていました。

あるとき、その彼が意外な事を話したのです。

「モデリングは出来るのですが、設計出来ないのです」と云い、

よく聞けば、単純な箱も設計する事が出来ないらしい。

確かに、設計するには、様々な情報とテクニックが必要なのです。

例えば、箱ですが、フタ付き箱の場合でも、単なる弁当箱の様なものや、

フタと本体の外面が同一面なもの(インロー)の作り方にも、いろいろ有ります。


コストダウンしながら、強度や使い勝手や金型を造る際の抜き勾配や、

面と面が直角に合わさる角や3面が合わさる角の処理をどうするかなど

(樹脂と金型が離れ易くするノウハウ)。箱の厚さはどうすれば良いか。


ヒケ (樹脂の場合、厚肉部分の面が冷えると凹む)は、どうか、

薄い部分に湯(加熱された液状の樹脂)が、充填出来るか(材料の

樹脂が細い通路を満たせるかどうか)、等理解しなければ、形状や

寸法が決まりません。金型を造るとき、雄型、雌型(コア、キャビとも云います)が

ありますが、各々に色々なテクニックが必要です成形時金型を一度開くと、

製品が自動的に排出される為に、製品を押し出す細工が必要だったり、

成型機の側で、製品が金型から外れ易くする為、金型に離型剤を

スプレーしたりします。

成型品は、成形後は高温の為、柔らかいので、成形後落下したら、

変形するかもわかえません。

変形したら欠陥品で価値が無くなります。

この様に、単に箱と云っても、様々な事が絡み合って完成されるのです。

こうして出来上がった品物(完成品)だけ見て、それを利用して商売する。


これは、当然な行為です。

必要以上に、値切ったり、納期を削ったりしたら、材料の質を落としたり、

必要な手順を省き時間短縮を図ります。

でも、その事を隠していれば判りません。

マクドナルドの製造過程の有っては成らない行為も、判らなければ

セーフだったので、今々始まった事ではないだろうは想像がつく。

現場を知らない、机上の空論で、仕事すれば、いつかボロが出て、

首を絞められるのです。

車のリコールにしても、同じです。

のど元過ぎれば熱さを忘れて、食道や、胃や腸を痛める。

亡き 松下幸之助氏も、云っていました。

「結果は、物事の原点から成り立っている」

数十年も前の事で言葉は違っているかも知れませんが

「源流管理」と云う言葉がよみがえります。

自販機でコイン(金さえ有れば)コーヒー缶を買う様な訳には

行かないのです。

自分の目で見て、現実を知り、極端に過度な負荷を現場に押し付けない 

現場を理解した、消費者を忘れず、使用者優先を 心がけた

経営をして頂きたいと思います。

米を食べる人は、稲作の大変さを知るべきですし、

魚だって、店で「金」をだせば、食べられるけれど、

海で船に生命を任せ、捕っていることを知らなければ、

丸投げ経営者と、同じである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

偉大なる、なにか [健康]

この世は「神の声」から始まった。

それは、神が人間の居るべき世界を組み立て、

開示したけれど、人間は素直に従わなかった。

いや、従えなかった。

目に見えない偉大なる存在を、一部の人達を除き、

信じる事が出来なかった。

人間は、未来を予知する事が出来ないのであり、

ほんの1秒先すら予知確認出来ず、

皿が手から落ちるまで判らない。

神が、何らかの理由から人間の予知能力を、

奪ってしまったのかも知れません。

それは悲しい位に真実で、知識に溢れる人、科学者、

予言者ですら同じであり、予言者は、事件が過去の

既成事実に成ってから「実は○○が起きることが判って

居ました。」と云い、様々な言い訳で、

後出しジャンケンの様です。

あの、有名な「ノストラダムス」でさえ結果は

出せなかった。


           www.js3314t.sakura.ne.jp.jpg
           www.js3314t.sakura.ne.jp 

いくら確率が「どうのこうの」云ったところで、

未だ来ないものは判らない。

人技的な事、タイマーで仕掛けた爆弾の爆発、

既に押したミサイルの爆発等が起こる事は仕掛けた人にだけ、

爆発の未来が判る。

但し、爆発するかどうかは爆発してみなければ判らない。

判る方法が有るとするならば、それは、未来に旅して、

近未来が過去に成り(タイムスリップして)起きた事柄を

確認してから、過去に戻り、もう一度時間を未来に向かって

旅する事でしょう。

             nagisa-minami.at.webry.info.jpg 
              nagisa-minami.at.webry.info

今は、それ位しか思い付きません。

現在は不可能でも、将来「時間を旅する事」が可能に成れば、

実現する事が出来るでしょうし、その時こそ、

人類の発生から進化についての事が明らかに成り、

全ての疑問が解決するのでしょう。

その時、地球、いや、人類の進化が判れば、

滅亡も避けられる筈です。

「死」への恐怖を前にして、地球上に戻りたい願望は、

あの世や前世、霊界を創り出します。

霊界は、一部の特別な人達には見える様で、

日本の人口1億以上の中に、どれ位居るのでしょうか? 

見当も付かず全く判りません。

繰り返しに成りますが、奇跡の惑星「地球」に

生きて居るだけで、幸せと感じなければ、生きる意味が判らず、

生きている喜びも判らず、不幸です。

            ameblo.jp.jpg
            ameblo.jp

残念ですが、六十有余年過ぎた今迄、

その事に気付かず生きて来てしまった。

人間の視野に対し、地球が余りにも大きく、回りの山、

足元の大地しか見え無い為、地球上に居る意識も無く、

考えもせず、只、生きていただけなのです。

物を落としたとき拾う面倒さ、転んだときの痛みに

「地球だからなのだ。」と

思った時が、地球を再度認識し、意識出来る時であり、

月面上であったら、違った結果に成る筈ですが、

万が一、地球が月と同じであったら人類は、いや、

生物そのものが、存在する事すら出来なかったのですから・・・。

地球だから、地球上であるからこそ、現在が有り、

生物は地球上で生きる為に、様々な生きる手段を

環境に合わせた形態で、進化し、生き延びて来て

取り敢えず完成の様に見えている・・・。

これ等を踏まえて「人生の目的」を考えたときの

答えの一つは「地球を感じ、地球を知って、

地球上に生きる人達と共に楽しむ事」でしょうか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日本人と「塩」 [健康]

日本人の塩摂取量が問題に成って久しい。医学とか健康を、

別にして考えてみると、塩は「ふるさと」の味なのです。

ここで云う「ふるさと」は、住所の有る、産まれた

土地ではない。

「ふるさと」は、人類のふるさとの意味であり

人類のふるさとは「海」である。 

                 www.flickr.com.jpg
                 www.flickr.com

海の中で単細胞としての生命の始まりが、いつ位か判りません。 

 2足歩行の人類が現れたのが、種々な説が有るようだけれど、

700万年位前とか聞く。

 誰も見たことは有りません。

 誤差が10万年でも、100万年でも、その違いで、今の世界が

変わる事は、無い。

 単細胞の生命は更なる、以前であることは容易に判る。 

 単細胞から多細胞の生命体に変わるの時間は、単細胞の

生命体が発生する時間よりは短い時間であったと推測する。

 地球上生物のDNAの半分は、全て同じだと聴いている。

 生命の誕生は、アミノ酸の変化だとも聞いている(書籍で読んだことが有った)。

 アミノ酸の極、小さな粒子に素粒子が衝突して、突然に科学的変化が

起きたと、想像したら、面白い。 

オパーリン著の「生命の起源」の中で、容易にアミノ酸は創れるが、

生命体は創れなかった。 

 この「生命の起源」が書かれた頃は、未だ、素粒子の存在は

知らなかったでしょう。 

ただ、アミノ酸に紫外線を照射して化学変化させ、たんぱく質を

合成させたとの記憶が有るが、オパーリンだったかどうか怪しい。 

 生命の原点が、塩化ナトリウム溶液(塩水)の中で、培養されて

成長したとなれば肉体の原点は塩水が「ふるさと」 だから、

思い様によっては、ふるさとに戻った事によって、活性化が進み、

血圧が高く成ることが有ると思うのです。 

 塩分を摂取したとき、普段の血圧より1割り位高くなっても

不思議では無いのかと思う。

 番地の有る「ふるさと」の駅に降りたって、感激したら

血圧も上がりますし、好きな人(男女とも)を見た時、ドキドキしたりして

血圧も上がる。 


 確かに、日本人は塩を摂り過ぎるのかも知れない。 

 韓国ソウルで、タンメンを食べたとき、あまりにも薄味なので、

塩を下さいと「ソルト プリーズ」と頼んでも、通じず困った。

        reihow.blog12.fc2.com.jpg
        reihow.blog12.fc2.com

 今なら「ソグム ジュセョ」とでも云えば良いのだが、

その時はどうしょうもなく、身ぶり手振りも効かない。 

 「しお」「ソルト」と、散々繰返して、何とか「塩」が 貰えた。

       blog.livedoor.jp.jpg
       blog.livedoor.jp 

そして、ティースプーンで小皿から「塩」を少しずつ入れては

味を確かめた。 

 やっと日本で食べる 旨味タンメンに成ったとき、

ティースプーンに3杯の「塩」を入れていた。

 その時、「ええーっ、こんなに入れるのーっ」と我ながら驚いた。

 周りのコリア人は、「塩」等、足さず美味そうに食べて居た。 

つまり、私が「塩」好きにしても、日本で食べる味と同じかどうかの

判定は出来る。 

 だとすれば、確かにティースプーン3杯の「塩」を、タンメンに入れたのは、

紛れもない事実である。 

 韓国の「塩」が、薄味なので、ティースプーン3杯なのかに

ついては、NaCL(塩化ナトリウム)は世界共通であるのだから、

濃い薄いかは問題外の筈。 


如何に日本人が、塩漬けなのかが、判ってしまった出来事であった。
 
 この時、日本人が美味しいと感じるもの全てが「塩分過剰」なのかも

知れない。


 確かに、今や砂糖と塩は、様々な食品に使われて居るので、

甘過ぎるもの、塩辛いものを避ける風潮に成って居る。


 ただ、長年塩辛いものに馴染んでしまった舌を、なだめる事は、

以外に辛(つら)いものである。

 ただ、「塩」に関して、言い訳をすれば、「塩」を全く摂らなければ

「死」が待っている。 

 「塩」を摂りすぎると、直ちに喉が渇れ、水が欲しく成って、

ガブガブ水を飲んで体内の塩分濃度を下げる。 

それが頻繁になれば、高血圧が待っている。 

「死」をとるか「高血圧」や「成人病」なのか、いずれなら、

ためらわず、治療出来る方を取る。 

 ただ、「塩」で、不健康に成ることは、それなりの臨床の結果なので、

あえて否定的にならず、「減塩」に取り組む姿勢が必要で有るに違いない。 


 それが、美味しく無くても我慢するしか無い。 


ブリの煮付けでも、水煮に近いものを良しとしましょうか。

          www.club-t.com.jpg
          www.club-t.com

ざん ねーんです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

銀座通りは、銀座では無い。 [旅行]

今も昔も銀座は銀座日本の至るところに○○銀座が存在する。

それはその街で、一番人通りが多い位の意味なのだと解釈する。

一分銀等の貨幣を作ると云う本来の意味等、何も関係なくても

それはそれで良いんです。小判を作った金座があるはずだけど、

○○金座より、何故か、銀座なのですね。

金より銀、庶民には、高価な金より銀の方が、馴染みが良いからなのでしょうか?

庶民にとって馴染み易さからいえば、一文銭で一文銭は銅ですから

銅座も有った筈でしょうけど。 どうでしょう。

銀座も戦後、焼け野原から今まで、想像も付かない位の変化が有り

その変化の陰に様々なドラマが有ったことでしょう。

地方の銀座通りも、大型郊外店舗の進出で、商売がたち行かなく成り

シャッターが下ろされ、隙間だらけの商店街に成ってしまった。

            komasai.blog116.fc2.com.jpg
            komasai.blog116.fc2

現在は、車社会で、歩くことが面倒な人達は、

駐車場の無い銀座通り商店街より

広い駐車場が有って、いつでも買い物が楽で、重たくても、

車迄とか、車から自宅迄なら、 それほどの苦痛では有りませんから。


今では、道路交通法が改正され、路上駐車が出来なくなって、

チョットの買い物も出来なくなり、駐車場が無い銀座通りは、

敬遠されてしまう。

道路幅が無い通りは、歩く人達だけにしか、商売が出来なくなってしまい、

道路交通法が、大型郊外店舗の味方をした形に成ってしまった。


例えば、大分前のことですが道路に面した、「旨いうどん屋」が有った。

道路交通法が変わる以前は結構、繁盛していたが、道路交通法が変わって

うどん屋の前を通ったら、閉店していた。うどん屋さんは、

どんな思いで店を閉じる決心をしたのだろうか?

        arakawa102.publishers.fm.jpg
       arakawa102.publishers.fm   

道交法が原因だけとは限りませんが、車を利用して、仕事をしていると、

路肩に車を停めて 旨いうどんを、短時間で食べられる事は、極便利でした。


今では、駐車違反は1万6000円ですから、馬鹿に成りません。


そんな時、思うのは 「 駐車場が近くに有れば良いのに、

駐車違反は嫌だし 」と、独り者の場合、車に乗って、

待ってくれる人等居ないのです。

せめて、各地各所の道路上に駐車スペースを有料で良いので、作って欲しい。

           akabane.alpha-homes.com.jpg
            akabane.alpha-homes.com         

銀座通り商店街前の道路は、その辺りを、考えて、何か上手い

駐車方法が有れば 商売も、やり易いのでは無いだろうか。


高齢者には、大型スーパーより、なじみの銀座通りの店が肌に合っている。

広い売り場は、どこに何が有るか、忘れていて、右往左往するだけで、

かなり疲れる。

若い人達には、たのしいショッピングでも、1フロアを、見て歩くだけでも

かなりの時間が必要で、必要なものが外れに有るとギブ・アップ。

そこへ行くと、ミニ・スーパーは 安心して買い物が出来る。

身近で、温もりのある銀座通りの店が復活して、

にぎあう人達を 見てみたい。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。