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昭和のダンスと云えば [ダンス]

昭和のダンスと云えば

ブルースとボックスルンバにマンボ、それにジルバ。

特にジルバは女性が素敵に見える。

ピチピチの若さが、まぶしい位の健康な女性が、

カラフルなサーキュラースカートで、花が咲き

風が吹いて揺れるように踊る姿は、素敵でした。

更に、ノリノリの音楽で、自然に身体がリズムを刻むと 

もう「おどるっきゃ」ない。

米映画「暴力教室」での挿入歌

「ロックアラウンド‐ザ‐クロック」 


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 映画は、さわりしか観ていないのですが、覚えているのは

モノクロで、テレビドラマ「コンバット」の

「サンダース軍曹(ビック‐モロー)」が

出演していたのを後で知りました。

「ワン・ツー・スリー・・・」 と云う、ボーカリストの声と

印象的な「ドラムのリズム」で始まり、

ウッドベースが刻むリズムが身体の芯に響き


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身体全体が反応してしまう。

それで、「タ、タッ」と云うドラムの音のイントロが、

一寸でも耳に入ると、それが何処からなのか、

知りたく成ります。


今では、そんな状況に出合うことも無くなり、

寂しい事ですが、ダンスパーティーで流れる事が

無くなりました。  


 今時のダンスパーティーで、モコモコのペチコートに、

サーキュラースカート・ファッションを

見たことが有りません。


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まして、頭にネッカチーフやバンダナなんていうスタイルは、

今や、古い映画の中でしか見られません。


現在のダンスパーティーでは

「10ダンス」をメインに( 実際は、ウインナワルツと

クイックとパソ・ドブレはめったに、かかりませんので、

7ダンスですが ) 踊るので、ファッションも

ラテンダンス、モダンダンスに違和感の無い様なものです。


もっともラテンダンス・ファッションでワルツを

踊っている人や、反対にモダンダンス・ファッションで

チャチャを踊っている人を見かけますが、気に成らず

それを否定する人は居ません。


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ジルバやジャイブは、ザ、アメリカと感じてしまいます。

戦後、日本の文化を、大きく変える迄影響した、アメリカ。

苦しい戦争中から、終戦を迎えて、ジャズ、ジルバ等が

解禁され、日本各地の進駐軍が、夜な夜な酒場で、

日本人ホステスさんと、ノリの良いダンスを楽しんだ。

ホステスさん達にも、それまで抑えつけられていた


楽しむ気持ちや、戦争からの解放感から、

耳新しい明るい音楽とダンスは楽しく面白い。

それまで、庶民の「ダンス」と云えば「盆踊り」で

やぐらの上で唄う「民謡」に、笛や太鼓のリズムで

輪になって踊った。


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輪になって踊る利点は、踊れない人も、踊れる人の後ろで

見よう見まねで、いつの間にかに、踊れる様に成り習熟していく。

それと個人単位での踊りなので、習熟度による

他人への影響は極僅か。

不器用な人の後ろで、覚えた踊りは、それなりに迷惑だ。

そんな、踊りしか知らない人が、

速いリズムの音楽を身体全部で踊ったら

それまでの踊りに無かった、


楽しい感覚が全身運動によって感じられ、

音楽のビートを身体全体で受け止める。

このビートと、ステップする脚足がシンクロ(同期)する

気持ちの良さは、ダンスそのものなのでしょう。

まさに「静」(民謡)と「動」(ジルバ)の違い。


若い肉体には、この「動」が気持ち良く感じられ

リズムに合うと、一層楽しく踊れる。

ジルバには、戦後の解放からくる異文化の吸収に

ちょうど良い、エネルギーが有ったと思えます。


そんな理由からか、今でも「ジルバ」は

「アメリカン」と思い、明るいパワーを感じます。

最近のジルバは、変わったなと感じることが有ります。


それは、男性が大人しく成っていることです。

以前のジルバは、男女共にホップしていた様に思います。

男性もターンしたり、ステップもノリノリでしたが、

最近では、男性棒立ちで腕だけが動いて居る。

それも、傍からみていると様に成っているが、その踊りは

ホストクラブの踊りでしょと、突っ込みたく成ります。


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男も踊りたいのです。音楽にのってホップしたいのです。

普段は、考えもしませんが、音楽は民族が産み出した、

お祭り的なものの一部なのかも知れない。


日本の盆踊りも、祖先の鎮魂が目的と同時に、

現世に生きる者達の貴重な娯楽であったのでしょう。

民謡は、武家時代米作りの合間を利用し、

大っぴらに遊べる大切な行事に必要な音楽であったに違いない。


演歌は御詠歌から発展したらしいが、

御詠歌自体仏教に起因するものであり、

民族が求めた音楽だったのでしょう。

ジルバも、カントリー・ウエスタンから派生したと

考えれば、考えられなくも無い。

ジルバはアメリカンでしょう。


米映画の西部劇で、夜、焚き火を囲んで、酒を飲み

楽しそうに、ポルカ?を踊っているのを見かける、

ポルカはチェコの踊りみたいですが、元々アメリカ人は

ピューリタン(清教徒)がルーツですから、それほど

遠く無いでしょうか。


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男女ペアで腕を組み踊るのが基本のようで、つまり

カップルダンスなので、全身で楽しく踊る。


ジルバの原点は、このあたりでしょうか。

だから、ジルバやジャイブは楽しいダンスなのですね。

単純なステップから、高度なステップまで有るが

初心者は基本のステップを、少し覚えれば1曲踊れて

楽しさが理解できる。


特に男性は、割と単純なステップで

リーダーに成れるので、体力さえあれば

パーティーに参加している女性の全てと

コミュニケーションが取れる便利なダンスなのです。





あの頃は 良かった。 昭和のダンス・シーン [ダンス]

近頃のダンス事情は、一時期のものと比べると

だいぶ変わった気がする。

昭和のダンスは、大雑把に云うと

社交ダンス(ボールルームダンス)が、

基本に有った。



現在のダンスと云えば、ヒップホップやブレークダンスなど

シングルダンスで、グループと云っても、同じルーティンを

個人が踊り、絡み合うアクションは無い分

自由に踊れる。


音楽もロックやラップ等複雑化(カウントがとりにくい)して

ボールルームダンス音楽から、程遠くなってしまった。
 

ボールルームダンス、モダンのタンゴでいえば

「ラ・クンパラシータ」は、カウントが、とても解り易い。



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ロックの場合は、ほとんどの場合、ジルバで対応出来る。

ジルバ ( 語源はジタバクの様だ ) は

サンバもクイックステップも、乗れて、いける

便利なものだ。 


これがジャイブと成ると、年齢制限が有る。

ガンバって1曲踊ると、息は上がり

「ヘロヘロ」状態に陥る。

最悪は途中でジルバに、ためらいなく

即、変更します(女性に、おうかがいして)。

それでも、ジャイブは音に合わせて

身体が跳ねる感じを強く意識出来て

楽しさが倍増するので、好きなのです・・・。

ただ、ジャイブからジルバにチェンジすると

緩(ゆる)い感じなので

引き続き、4拍子(1234、1234)で踊ると

6拍子(123456、123456)で踊るより

スピード感が有って楽しい。


更に、ジャイブやジルバの曲を、4拍子ジルバで

踊る人がいないので

何か 別のダンスを踊っている様で楽しい。


そう思って居るのは本人だけでしょうか。

ただ、女性は大変です。

ターンするのが、速く成っているのですから。

今までで、踊れない女性は 0 (ゼロ)でした。



もう半世紀も前になってしまったが 

「ドドンパ」と云う 新しいリズムが流行り

「 東京ドドンパ娘 」 と云う曲が

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「渡辺マリ」さんによって唄われて大ヒットしたし

スマイリー小原さんが、指揮しながら踊るのが

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     720smileyohara

楽しくカッコ良く人気でした。


最近では 「 きよしの ドドンパ 」 の

タイトルで 「氷川 きよし」 さんが 唄われていました。

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踊りとしては、基本マンボで、1ステップを余分に

踏めば良かったので、すぐに対応出来た。


それ以前は、ペレスプラードの「闘牛士のマンボ」や

「セレソ‐ローサ」「パパ‐ラブズ‐マンボ」など

マンボが大流行したり

マヒナスターズが、皮切りでしたでしょうか

ルンバのリズムで踊れる曲が流行りました。


ただ、今、「闘牛士のマンボ」を確認したら

「エエーッ、マンボってタイトルが付いてるけれど

   マンボではなくルンバだろう

 それもボックスルンバだよね」と、つっこみました。


人気者の「裕ちゃん」(石原裕次郎氏)が唄った

「南国の夜」は、ルンバ(ボックス・ルンバ)を

覚え初めの私には「のり」が良く

気持ち良く身体が動いた。



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     pasar-raya.at.webry.info  

今の人達は、ルンバと云えば、キューバン‐ルンバの事で 

カウントも怪しい人達でも、ルンバの曲が掛かると

オープン‐ポジションを採る。

クロージング‐ポジションで立つと 

「えっ、何この人」って顔をして、ジロッと顔を見る。


「キューバン‐ルンバにも

   クロージングポジションは有るんですよ」 と


心の中で呟きカウントを採る。

男性がリードの原則なので図々しくリードする。途中で、ファンポジション

( 男性左手で女性右手で平らに広がる

 この状態が扇子を広げた状態に似ているから

 ファン ( 扇子 ) で、つないだ手が

       要 ( かなめ ) でしょうか。 ) に

変わると、安心したような表情に成るので、面白い。


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     blog.livedoor.jp 

 社交ダンスが、テレビ「ウリナリ」で、ブームに成り

ポピュラーに成って、文化までに昇格した様でしたが、

踊る場所が少なくなってしまった。


最近は、公民館等を利用しての

ワンコイン・ダンスパーティーが

開催されているが、ルンバ、チャチャ、ワルツ

         タンゴがメインに成っている。

パソ・ドブレやウインナ・ワルツは、滅多に有りません。


ある程度の年齢に成ると、ワルツ、タンゴもハードに成り

ホールドがグダグダに成ってしまうし

腹の脂肪が邪魔に成り、コンタクトなんて問題外なのです。


ホールドも無く、激しいアクションも無く、

単純なダンスは何?

それが、オールド‐ファッションスタイルの

「ラテン・ダンス」


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つまり、それが、戦後の昭和ダンスなのです。



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七色の虹が消えてしまったの [ダンス]

ムード歌謡が流行る以前に、日本独特なリズムが流行った。

 藤木孝氏、飯田久彦氏や鈴木やすし氏が「ツイスト」と云うダンス。

 藤木氏の「24000のキッスはアドリアーノ・チェレンターノ(イタリア)、

「ツイストNo1」はチェビー・チェッカー

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                      www.jetsetrecords.net

飯田氏の「ルイジアナ・ママ」はジーン・ピットニー、

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                       plaza.rakuten.co.jp

鈴木氏の「ジェニジェニ」はリトル・リチャードが元歌でした。

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                       coconutsdisk.com

 特に飯田氏の「舌足らず」な感じが、何とも言い難い独特な感じが、

今で云えば「可愛い」でしょうか。

 個人的に、売れた感じとしては、藤木氏、飯田氏、鈴木氏の順でしたでしょうか。

 もちろん、アメリカ(イタリアも)でヒットしたものを日本でカバーしたもので、

詩の内容なんてどうでも良かった。

 何しろ米語なんて「アイラブユー、センキュー、グッバイ、グッモーニング、

ギブアンドテイクにギブミーチョコレート(これは少し古いかも)」程度しか

判らないのだから、日本語の歌詞を何のためらいもなく、受け入れて居た。

(作る方も、その辺りは飲み込み済みだったのでしょう。)

 同時期、ジョンウェインの映画「遥かなるアラモ」がブラザースフォーで流行った時

「 グリーン フィールズ ゴーン ナウ~ 」 と、クラスメイトの女生徒が唄っていて

カッコ良くて、その歌詞を覚えて理解しようとしたが。

 橋幸夫氏の「潮来笠」や「あれが岬灯だ」が大流行して居たので

安易な方に流れてしまった様だ。

 あの時しっかり学習しておけばと、いまさら後悔しても手遅れは承知。


 ツイストが流行る前、ペレスプラード楽団が「マンボNo5」「セレソローサ」と云う

ラテン音楽が流行った。

 石原裕次郎氏が 「 月は輝く南の~ 」 と 「 南国の夜 」 を唄い、

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                       daikanyama-ec.tsite.jp

ラテン系ハワイアンの流行歌で、マンボはマンボ、裕ちゃんの唄はルンバ。

 銀座のキャバレーでは、客とホステス達が、ホロ酔いで踊って居た。

 マンボもルンバも、今のチャチャやルンバ ( キューバンルンバ ) とは違って、

ソロダンスに近く 単純なステップだった。

今はジャイブと呼ばれているが、初めジルバ(ジタバグ)の2ステップ版と呼ばれ、

2ステップが出来る男性はモテた。

 ホステスさん達は、サーキュラドレスで、ペチコートでふっくらしたシルエットから

下に伸びた脚はハイヒール。

 そのサーキュラが、ジルバを踊ると、裾がフワッと拡がると、二階席から見た

フロアーは様々な色の花が、咲いたように見えた。


 タンゴ、ワルツは、ほとんど演奏(当時は生バンド)されない。

 楽しむダンスなのだから、ブルースか、ノリの良いものがベスト(タンゴ、ワルツはオーダー)。 

 今のダンスホールとは比べ様もない。

 ツイストと殆んど同時期に日本独特の「ドドンパ」と云う日本発のリズムが

「東京ドドンパ娘」(好っきになったぁら~)と云う唄が「渡辺マリ嬢」で大流行した。

 小さな身体で、やたらパワーの有る人だと思いました。

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 最近では氷川きよし君が 「きよしのドドンパ」を唄ったが

「ドドンパ」のダンスの復活は無かった。
                       
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 そして、エルビスプレスリーが映画「ラスベガス万歳」の後「フロリダ万歳」で

「スイムで行こう」から、橋幸夫氏が「スイム」を唄ったが、余り流行らなかった。

 そのダンスが腕と腰の動きだけだった様な記憶ですが、

志村けん氏や加藤茶氏のギャグ歩きの様だった記憶が有ります。


 その後はジョントラボルタの「サタデーナイトフィーバー」のディスコダンスブームが

来るまでは目立ったリズムは無かったと、記憶しています。


 この時期辺りに、タイトルの「七色の虹が消えてしまったの・・・。」

 ムード歌謡が流行した(カラオケが人前で唄う愉しさで)。

 ダンスは「ルンバ」で、現在に近い「キューバンルンバ」だった様に思います。

 同時期に、「敏いとうとハッピー&ブルー」と云うグループが

「星降る街角」と云うメチャクチャ「乗り」( ~ワン・トゥー )の良い唄で、ジルバが

ピッタリ合い(「ハマジル」と云う リストダンス(男性が手首で、女性をリードするものですが

器用に左右両方のリストで、二人同時に踊らせる事が出来る、ちょっとオシャレなダンス))

大流行して、カラオケで唄われ、ジルバで踊って居た。


 ツイストからディスコダンスの延長線上の映画 「フラッシュダンス(1983年)」で

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バレーと、ブレークダンス (映画の中、路上で踊る、少年のブレークダンスを、ヒロインの

ジェニファー・ビールスが、見ているシーンが有った。)がミックスした、新しいダンスが

新鮮で、ジャズダンスにも影響を与えた様だった。

 このダンスの同時期、マイケル・ジャクソンの、ムーンウウォーク(1983年)が有った。

 そして、さらに、ヒップホップへと進化し、グループソロダンスと、ボールルームダンスが、

共生していて、年代分けされ、ヒップホップ系は若者、ボールルームダンスは年長組で、

ハワイアンダンス、フラメンコ等々多様化しているみたいです。


 大切な事を忘れていました。

 ダンスシーンで忘れてはいけない、大切な事ですが、ソロダンスの草分け的なダンスが、

 映画「ウエストサイドストーリー(1961年)」です。

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 ストーリー自体は、ロミオとジュリエット風のラブロマンスでしたが、

屋外でグループ抗争を、グループダンスと云う手法で、表現して、度肝を抜かれ

とても新鮮な刺激でした。

 ミュージカルなのでと、云ってしまうと残念です。

 少なくとも、現在のヒップホップ迄つながるスタートが「ウエストサイド物語」だと、

信じています。

 なんといっても「ジョージ・チャキリス」のダンスがカッコ良くて評判だった。

 上映当時は、有楽町、ピカデリー(映画館)の前を通ると、同じポスターが掲示されていて、

(1年半位ロングランだったみたいです。)

 70ミリフィルムの大スクリーン当時、映画館で観たかった。

 劇中歌「トウナイト」が、大流行で、ユアヒットパレード等のラジオで良く聴いてました。

 文化の変化と共に、ダンスも変化するのだと、強く感じます。

 未来のダンスは、どんな変化をするでしょうか?

 楽しみです。
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近頃の社交ダンス と 役所さんウリナリ杉本彩さん [ダンス]

 昔(1996年10月~) 「ウッチャン・ナンチャン」の内村光良氏と南原清隆氏、

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「 キャイ~ン 」 の天野ひろゆき氏、ウド鈴木氏や伊藤裕子嬢、遠藤久美子嬢、

杉本彩嬢、鈴木紗理奈嬢、千秋嬢、ビビアンスー嬢、藤崎奈々子嬢、

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室井滋嬢、矢部美穂嬢(あいうえお順)達で、「 ウリナリ芸能人社交ダンス部 」 で

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社交ダンスに取り組み、テレビで放映する様に成ってから、

徐々に社交ダンスブームが訪れた。

それ以前(1996年1月)に 「 シャル・ウイ・ダンス? 」が、役所広司氏と、

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     rateyourmusic.com 

この映画が縁で、周防正行監督と結婚した、草刈民代嬢、竹中直人氏や

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渡辺えり子嬢、徳井優氏、田口浩正氏、原日出子嬢や特別出演の本木雅弘氏、

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清水美砂嬢等の俳優達が出演して好評を得た。

なんちゃって社交ダンスをやっているダンスファンが 「 うん、ある、ある 」 気分で、

ごく身近に感じられる。 そんな作品だった。

テーマソングは大貫妙子嬢で同名 「 シャル・ウイ・ダンス? 」を唄った。  

「 シャルウイダンス 」 は、ジュリーアンドリュース嬢で流行り、馴染んでいたが、

大貫妙子嬢の唄い方がとても新鮮であった。

草村礼子様は 「 たま子先生 」 として慕われて、以後もダンス月刊紙で

「 たま子先生 」 としてエッセイを書かれて居ました。

更に、欲張りなのは、映画の始めに、見たことの無い、プロダンサーが憧れる

登竜門のブラックプールのシーンでした。

草刈民代嬢の回想シーンでリーダーとして踊っていたのが、

社交ダンス 「 モダン 」 の日本チャンピオンで有り、全英選手権において

日本人で初めて3位を獲得した田中英和先生が出演して、

「 シャル・ウイ・ダンス? 」 の、翌年、アデールプレストン嬢とカップルを

結成した時の事で、何か予感めいた感じがします。

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    www.interq.or.jp 

以後、全英選手権において日本人の快挙は無い様で、今後期待したいです。

この時 「 シャル・ウイ・ダンス? 」 のダンスの指導した、

わたりとしお氏と湯浅奈緒子嬢が 「 ウッチャンナンチャン 」 のダンスレッスンに

あたっていた様です。

その後、二ツ森司氏、二ツ森みどり嬢夫妻、更に、その後、弟の

二ツ森亨氏、二ツ森由美嬢夫妻がダンスレッスンを担当していた。 

サークルダンスでも、取りあえず 「 10ダンス 」 を、レッスンするところが、

一般的ですが、モダンはワルツ、タンゴ、ラテンはルンバ、チャチャを繰り返しが多い。

そんな折り、わたりとしお氏がレッスンビデオを、湯浅奈緒子嬢と作り、

ラテン(ルンバ、チャチャ、ジルバ ( ジルバは10ダンスでは無い ) )、

モダン(ワルツ、タンゴ、ブルース ( ブルースは10ダンスでは無い ) )

とても身近な社交ダンスを紹介していた。

一流の先生にレッスンしてもらえるなんて、さすが、テレビ番組だよね。

レッスン代だけでも、相当だけど、「 タレントさん達も特だよね 」 と、

やっかみ半分で、サークルの後のファミレス等で話して居ました。

それ迄社交ダンスは、程々に流行って居て、各地域の公民館等を利用し、

中高年を中心にサークル活動していた。

映画 「 シャル・ウイ・ダンス? 」 の中で、役所氏と田口氏、徳井氏達が、

習い始めの頃サークルダンスパーティーに参加して、役所氏が女性に誘われて、

戸惑うシーンが有りました。

公民館等のサークルダンスパーティーは、全く映画のシーンそのまんま、

実に良く表現したもので、共感のあまり笑ってしまいました。

更に、グループレッスンの後の会合等も含めて、

周防監督の観察力には、恐れ入ります。

最近では、それなりにダンスパーティーは有るのですが、参加者が「今一」でしょうか。

再び、周防監督には 「 シャルウイダンス? Part2 」を企画して頂きたく、強く希望致し、

2016年は、丁度、20年目に成りますので、良い節目でしょう。

役所氏を始め他の俳優さん達も、まだ油がのって居る現役ですから、

とても楽しみです。

「 ウリナリ芸能人社交ダンス部 」 も、メンバー達が、当時より、私たちサークルダンスの

平均年齢に、わずか近づいた事でしょう。

ちょうど今、熟成された気持ちで、取り組んで頂ける様な気持ちで、もう一度、

華やかな社交ダンスを見せて頂きたい。

南原清隆氏、杉本彩嬢や、ゴルゴ松本氏、小池栄子嬢も当時より、落ち着いた。

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ただ派手なだけでなく、社交ダンスの面白さが判る位に成っていて、

恐らく、今でも音楽に乗って踊る気持ちの良さ、楽しさが忘れられない

状態に有ると察して居ます。

例えば、リズムがハッキリした、「 タンゴやワルツ 」の曲や、

ビートの効いた 「 チャチャ、サンバ、ジャイブ等 」の曲が、耳に入ったとたん

無心に身体が反応して、カウントが、つま先に届くほど感じるのです。

一種、病気の様な、表現できない状態で、目を閉じると、踊っている感覚が

よみがえるのです。

ウリナリに参加された皆様も、きっと同様な感覚だと思います。

番組に合わせて、血のにじむ様な努力が、有れば有る程、その思いに

比例して、その時は、辛くて投げ出したい気持ちでも、

時間が経つと、あの辛くて苦しい時間が、無性に恋しく成るのです。

だから、音楽に身体が、自然に反応してしまい、手指でリズムを刻みます。

どうか、もう一度、素敵で楽しい、社交ダンスで、私達を楽しませて下さい。

日本テレビ様にも、「ウリナリ芸能人社交ダンス」の番組復活を切にお願いし

再び、日本中の 社交ダンスファンに、希望を与えて下さい。
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