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なぜ そこまで 気遣いが出来る日本人 [雑感]


何に付けても、どうしてこんなに

気が付くのだろうかと、感心してしまいます。

日本人が造る今の製品やサービスは、世界的に

定評が有りますが、何故なのだろうか、

不思議に思えることが多々あります。

気遣い、心遣いの代表は?と聞かれたら、即、

「豊臣秀吉」の「懐ぞうり」が想いだされます。

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気遣いと新しい発想、努力で天下を、我がものにした

「豊臣秀吉」に付いて、詳しい事は歴史学者に、

お任せするとして、聞きかじりの知識と子供の頃見た

歴史漫画から得た知識です。

どうしようもない子供の頃から、物心付いた少年の

生きる為の武器?は、「サービス」(気遣い(気が利く)と

発想)であった。

蜂須賀小六から始まって、織田信長の元で地道だけれど

確実に実績を積上げていき、他人が休んでいるときですら

率先して、懸案でありながら日常の業務で手が回らない

他人の嫌がる個所の業務を、一人で遂行する努力をしていた。

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           m.sponichi.co.jp

人がやりたくない、やらない仕事、出来ない仕事や事柄を

誠実に失敗無く成し遂げる。

これがサービスの原点で、基本であろうか。

その為には、周囲の状況を見極め、目配りで他人の

気付かない事を、他人より早く対応しなければ成らないし

効率の良い対処の方法も考えなくては成らない。

これらは見習うべきサービス(客=信長)精神であると思えます。

「懐ぞうり」はまさにこのような場合に当てはまる。

    信長(客)が冷たい「ぞうり」を履くことを予測して、

    予め暖めて置く事(気遣い)を思い付き、加熱の方法として

    焚き火で加熱していた場合、籐吉郎本人が暖まりながら

    ついでに「ぞうり」を暖めていたと信長に誤解される懸念がある。

価値のあるサービスは、自己犠牲だったのであり

並の人であったら暖めることさえ思い付かなかった事でしょう。


体温で暖めることは、並大抵の事ではなく、最大の、

尊敬の現れであると容易に判るが、信長は

「尻に敷いて暖めた」と誤解するが、籐吉郎は懐の汚れで

否定し理解される。


サービスも相手にそれが判る様な演出も必要で

あるのでしょう。

客が想像する事と、実際のサービスの差が、大きければ

大きい程、その評価は高く成るものだと思います。

木下藤吉郎が手掛けた墨俣(すのまた)築城の

手法は画期的なものであり、先輩達が為しえなかった課題を、

その才覚(発想、人脈)で解決したのです。

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    kojodan.jp                community.travel.yahoo.co.jp    

 この時も、藤吉郎は築城に係わる人達の全てに

細かな「気遣い」をして、効率の良い高度な作業が得られ

しかも、完成後も築城に係わった人達の全てに、思い切った

「報償やねぎらい」を与えて(信長からの褒賞で)

信頼を得たのです。

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 気遣いは「費用も掛からず、無料」で出来て

「枯れる」ことも有りません。

この「気遣い」の度合いが、全て(仕事、製品、サービス)において、

その価値を決定してしまうのだと思います。






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