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七色の虹が消えてしまったの [ダンス]

ムード歌謡が流行る以前に、日本独特なリズムが流行った。

 藤木孝氏、飯田久彦氏や鈴木やすし氏が「ツイスト」と云うダンス。

 藤木氏の「24000のキッスはアドリアーノ・チェレンターノ(イタリア)、

「ツイストNo1」はチェビー・チェッカー

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                      www.jetsetrecords.net

飯田氏の「ルイジアナ・ママ」はジーン・ピットニー、

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                       plaza.rakuten.co.jp

鈴木氏の「ジェニジェニ」はリトル・リチャードが元歌でした。

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                       coconutsdisk.com

 特に飯田氏の「舌足らず」な感じが、何とも言い難い独特な感じが、

今で云えば「可愛い」でしょうか。

 個人的に、売れた感じとしては、藤木氏、飯田氏、鈴木氏の順でしたでしょうか。

 もちろん、アメリカ(イタリアも)でヒットしたものを日本でカバーしたもので、

詩の内容なんてどうでも良かった。

 何しろ米語なんて「アイラブユー、センキュー、グッバイ、グッモーニング、

ギブアンドテイクにギブミーチョコレート(これは少し古いかも)」程度しか

判らないのだから、日本語の歌詞を何のためらいもなく、受け入れて居た。

(作る方も、その辺りは飲み込み済みだったのでしょう。)

 同時期、ジョンウェインの映画「遥かなるアラモ」がブラザースフォーで流行った時

「 グリーン フィールズ ゴーン ナウ~ 」 と、クラスメイトの女生徒が唄っていて

カッコ良くて、その歌詞を覚えて理解しようとしたが。

 橋幸夫氏の「潮来笠」や「あれが岬灯だ」が大流行して居たので

安易な方に流れてしまった様だ。

 あの時しっかり学習しておけばと、いまさら後悔しても手遅れは承知。


 ツイストが流行る前、ペレスプラード楽団が「マンボNo5」「セレソローサ」と云う

ラテン音楽が流行った。

 石原裕次郎氏が 「 月は輝く南の~ 」 と 「 南国の夜 」 を唄い、

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                       daikanyama-ec.tsite.jp

ラテン系ハワイアンの流行歌で、マンボはマンボ、裕ちゃんの唄はルンバ。

 銀座のキャバレーでは、客とホステス達が、ホロ酔いで踊って居た。

 マンボもルンバも、今のチャチャやルンバ ( キューバンルンバ ) とは違って、

ソロダンスに近く 単純なステップだった。

今はジャイブと呼ばれているが、初めジルバ(ジタバグ)の2ステップ版と呼ばれ、

2ステップが出来る男性はモテた。

 ホステスさん達は、サーキュラドレスで、ペチコートでふっくらしたシルエットから

下に伸びた脚はハイヒール。

 そのサーキュラが、ジルバを踊ると、裾がフワッと拡がると、二階席から見た

フロアーは様々な色の花が、咲いたように見えた。


 タンゴ、ワルツは、ほとんど演奏(当時は生バンド)されない。

 楽しむダンスなのだから、ブルースか、ノリの良いものがベスト(タンゴ、ワルツはオーダー)。 

 今のダンスホールとは比べ様もない。

 ツイストと殆んど同時期に日本独特の「ドドンパ」と云う日本発のリズムが

「東京ドドンパ娘」(好っきになったぁら~)と云う唄が「渡辺マリ嬢」で大流行した。

 小さな身体で、やたらパワーの有る人だと思いました。

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 最近では氷川きよし君が 「きよしのドドンパ」を唄ったが

「ドドンパ」のダンスの復活は無かった。
                       
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                       www.fanfan1.com

 そして、エルビスプレスリーが映画「ラスベガス万歳」の後「フロリダ万歳」で

「スイムで行こう」から、橋幸夫氏が「スイム」を唄ったが、余り流行らなかった。

 そのダンスが腕と腰の動きだけだった様な記憶ですが、

志村けん氏や加藤茶氏のギャグ歩きの様だった記憶が有ります。


 その後はジョントラボルタの「サタデーナイトフィーバー」のディスコダンスブームが

来るまでは目立ったリズムは無かったと、記憶しています。


 この時期辺りに、タイトルの「七色の虹が消えてしまったの・・・。」

 ムード歌謡が流行した(カラオケが人前で唄う愉しさで)。

 ダンスは「ルンバ」で、現在に近い「キューバンルンバ」だった様に思います。

 同時期に、「敏いとうとハッピー&ブルー」と云うグループが

「星降る街角」と云うメチャクチャ「乗り」( ~ワン・トゥー )の良い唄で、ジルバが

ピッタリ合い(「ハマジル」と云う リストダンス(男性が手首で、女性をリードするものですが

器用に左右両方のリストで、二人同時に踊らせる事が出来る、ちょっとオシャレなダンス))

大流行して、カラオケで唄われ、ジルバで踊って居た。


 ツイストからディスコダンスの延長線上の映画 「フラッシュダンス(1983年)」で

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movies.yahoo.co.jp

バレーと、ブレークダンス (映画の中、路上で踊る、少年のブレークダンスを、ヒロインの

ジェニファー・ビールスが、見ているシーンが有った。)がミックスした、新しいダンスが

新鮮で、ジャズダンスにも影響を与えた様だった。

 このダンスの同時期、マイケル・ジャクソンの、ムーンウウォーク(1983年)が有った。

 そして、さらに、ヒップホップへと進化し、グループソロダンスと、ボールルームダンスが、

共生していて、年代分けされ、ヒップホップ系は若者、ボールルームダンスは年長組で、

ハワイアンダンス、フラメンコ等々多様化しているみたいです。


 大切な事を忘れていました。

 ダンスシーンで忘れてはいけない、大切な事ですが、ソロダンスの草分け的なダンスが、

 映画「ウエストサイドストーリー(1961年)」です。

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 ストーリー自体は、ロミオとジュリエット風のラブロマンスでしたが、

屋外でグループ抗争を、グループダンスと云う手法で、表現して、度肝を抜かれ

とても新鮮な刺激でした。

 ミュージカルなのでと、云ってしまうと残念です。

 少なくとも、現在のヒップホップ迄つながるスタートが「ウエストサイド物語」だと、

信じています。

 なんといっても「ジョージ・チャキリス」のダンスがカッコ良くて評判だった。

 上映当時は、有楽町、ピカデリー(映画館)の前を通ると、同じポスターが掲示されていて、

(1年半位ロングランだったみたいです。)

 70ミリフィルムの大スクリーン当時、映画館で観たかった。

 劇中歌「トウナイト」が、大流行で、ユアヒットパレード等のラジオで良く聴いてました。

 文化の変化と共に、ダンスも変化するのだと、強く感じます。

 未来のダンスは、どんな変化をするでしょうか?

 楽しみです。


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