腹が減ったら、戦も出来ない [食]
縄文から弥生に変革したときの変化は、不安定から安定への変化であり、
個人から集団への変化でもあった。
ただし、この変化はヨーイ、ドン的にハッキリしていたものでは無く、
「いつの間に変わったたの?」的なものでしょう。
又、縄文土器は、転倒しない様、大地に突き刺す様な円錐形であり、
この円錐形は焚き火で、湯を沸かすときの熱効率が良い様で、
弥生式土器は転倒しない様に平らな底が有り、それ自体が転倒しない
安定した形状であった。
inoues.net
文明は中国黄河のほとりからで、海からは船で直に、陸からは朝鮮、
又は、モンゴルから樺太、朝鮮経由で多少生活に溶け込み、単純化され
時間差を保ちながら大和の国で熟成された。
ただし、経路からして、近い朝鮮半島経由の方が、頻繁に行き来出来た様ですし、
しかも、織物や漆器等は朝鮮から沢山の人々が勧誘され、保護された様で、
秦部(はたべ)、錦織部(にしこりべ)、韓鍛冶部(からのかぬちべ)、
陶部(すえつくりべ)と云う、職業的に区別された名称があった様でした。
時代が前後しますが、何しろ、弥生時代、倭国の女王卑弥呼の時代に
人々は貫頭衣(かんとうい)が着衣として普通であった。
貫頭衣とは、麻袋に頭が通る穴と腕を出す穴が空いた様な単純なもので、
ウエスト辺りを紐で縛って居たファッションで冬は、毛皮を重ね着していたのでしょう。
julian.way-nifty.com
日本の卑弥呼の時代、中国は三國志の時代、三國志と云えば、
ジョン‐ウー 監督の映画「 レッド‐クリフ 」で有名な策士「諸葛孔明」です。
俳優の金城武さんがカッコ良く演じて居た人物ですが、
この「赤壁の戦い」時が、西暦208年。
頭脳明晰と云えば、今では「 死語 ? 」、「真田幸村か諸葛孔明」ですが、
千年以上の開きが有り、三國志の混乱と日本の戦国時代の
群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)と、何か、共通する様に感じます。
服装は、金城武さんが着ていた様な立派な服装で、服装からして、
中国と日本は大人と子供位の文化の差が有った様です。
つまり、千年の隔たりでしょうか?
「魏志倭人伝」に有る「漢委奴国王印」の金印を「卑弥呼」が貰ったのは、
倭国の代表として認めたから?で、かなり、超上から目線の様です。
女王の呼称に「 卑( 卑しい ) 」なんて。
museum.city.fukuoka.jp
縄文と弥生は、そこそこの過渡期をへて、変化してきた様で、
一番大きな変化は、飢えからの解放であったに、違い有りません。
内容的には主食が動物性たんぱく質から植物性たんぱく質への変化であった。
つまり、狩猟生活から農耕生活への変化、ただし稲作は縄文の後期に
始まって居た様ですが、本格的には弥生時代の様です。
狩猟生活でも、小さなグループで、協力して狩り(一人で熊を倒せない。)を
していた様で、弥生時代には村の様な集団で、協力して田んぼ等を作っていた。
協力して、田植え等をやらないと、季節遅れに成ってしまう危険が有り、
これは機械で、田植えが出来る近年の頃までの、田植えのやり方であった。
現在の事を、縄文か弥生かと考えたとき、弥生では無く、むしろ縄文時代と
呼ぶのが妥当かな?と思います。
それは、今の日本の自給率は2014年カロリーベースで39%で、
生産額ベースは64%(農林水産省)だそうで、
予備を含めたら100%以上無いと、心配でしょう。
例えば、食糧輸入国に不作や何かのトラブルが有り、
食糧の輸入が出来ない場合も有り、相手次第です。
燃料(ガス、石油)にしても輸入しか方法が有りませんが、価格は、
相手次第で、高い金額での輸入する方法しか選べないのが現状です。
水以外(これも天気次第ですが)は、すべてのものが、相手次第です。
つまり、縄文時代の狩猟生活 ( 天候次第で,猟も釣りも出来ない ) と同様だとも
云えるのでは無いでしょうか。
日本を技術力を資源化すれば,外貨が稼げると云いますが、ハイパーインフレにでも
成れば、食糧を買うのに、どれ位の金額が必要に成るか判りません。
テクノロジーでは、空腹は満たせず、「腹が減ったら、戦も出来ない」のです。
いくら剣 ( 技術 ) の達人でも、空腹(武士は喰わねど高楊枝(死語))には
勝てないのです。
繰り返しに成りますが、今の日本は縄文時代と同じで、相手(国単位)次第で、
どうにでも成る可能性が有るのです。
弥生時代と同じく、食の自給率が高く成れたら良いのですが・・・。
無理でしょうか?
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個人から集団への変化でもあった。
ただし、この変化はヨーイ、ドン的にハッキリしていたものでは無く、
「いつの間に変わったたの?」的なものでしょう。
又、縄文土器は、転倒しない様、大地に突き刺す様な円錐形であり、
この円錐形は焚き火で、湯を沸かすときの熱効率が良い様で、
弥生式土器は転倒しない様に平らな底が有り、それ自体が転倒しない
安定した形状であった。
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文明は中国黄河のほとりからで、海からは船で直に、陸からは朝鮮、
又は、モンゴルから樺太、朝鮮経由で多少生活に溶け込み、単純化され
時間差を保ちながら大和の国で熟成された。
ただし、経路からして、近い朝鮮半島経由の方が、頻繁に行き来出来た様ですし、
しかも、織物や漆器等は朝鮮から沢山の人々が勧誘され、保護された様で、
秦部(はたべ)、錦織部(にしこりべ)、韓鍛冶部(からのかぬちべ)、
陶部(すえつくりべ)と云う、職業的に区別された名称があった様でした。
時代が前後しますが、何しろ、弥生時代、倭国の女王卑弥呼の時代に
人々は貫頭衣(かんとうい)が着衣として普通であった。
貫頭衣とは、麻袋に頭が通る穴と腕を出す穴が空いた様な単純なもので、
ウエスト辺りを紐で縛って居たファッションで冬は、毛皮を重ね着していたのでしょう。
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日本の卑弥呼の時代、中国は三國志の時代、三國志と云えば、
ジョン‐ウー 監督の映画「 レッド‐クリフ 」で有名な策士「諸葛孔明」です。
俳優の金城武さんがカッコ良く演じて居た人物ですが、
この「赤壁の戦い」時が、西暦208年。
頭脳明晰と云えば、今では「 死語 ? 」、「真田幸村か諸葛孔明」ですが、
千年以上の開きが有り、三國志の混乱と日本の戦国時代の
群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)と、何か、共通する様に感じます。
服装は、金城武さんが着ていた様な立派な服装で、服装からして、
中国と日本は大人と子供位の文化の差が有った様です。
つまり、千年の隔たりでしょうか?
「魏志倭人伝」に有る「漢委奴国王印」の金印を「卑弥呼」が貰ったのは、
倭国の代表として認めたから?で、かなり、超上から目線の様です。
女王の呼称に「 卑( 卑しい ) 」なんて。
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縄文と弥生は、そこそこの過渡期をへて、変化してきた様で、
一番大きな変化は、飢えからの解放であったに、違い有りません。
内容的には主食が動物性たんぱく質から植物性たんぱく質への変化であった。
つまり、狩猟生活から農耕生活への変化、ただし稲作は縄文の後期に
始まって居た様ですが、本格的には弥生時代の様です。
狩猟生活でも、小さなグループで、協力して狩り(一人で熊を倒せない。)を
していた様で、弥生時代には村の様な集団で、協力して田んぼ等を作っていた。
協力して、田植え等をやらないと、季節遅れに成ってしまう危険が有り、
これは機械で、田植えが出来る近年の頃までの、田植えのやり方であった。
現在の事を、縄文か弥生かと考えたとき、弥生では無く、むしろ縄文時代と
呼ぶのが妥当かな?と思います。
それは、今の日本の自給率は2014年カロリーベースで39%で、
生産額ベースは64%(農林水産省)だそうで、
予備を含めたら100%以上無いと、心配でしょう。
例えば、食糧輸入国に不作や何かのトラブルが有り、
食糧の輸入が出来ない場合も有り、相手次第です。
燃料(ガス、石油)にしても輸入しか方法が有りませんが、価格は、
相手次第で、高い金額での輸入する方法しか選べないのが現状です。
水以外(これも天気次第ですが)は、すべてのものが、相手次第です。
つまり、縄文時代の狩猟生活 ( 天候次第で,猟も釣りも出来ない ) と同様だとも
云えるのでは無いでしょうか。
日本を技術力を資源化すれば,外貨が稼げると云いますが、ハイパーインフレにでも
成れば、食糧を買うのに、どれ位の金額が必要に成るか判りません。
テクノロジーでは、空腹は満たせず、「腹が減ったら、戦も出来ない」のです。
いくら剣 ( 技術 ) の達人でも、空腹(武士は喰わねど高楊枝(死語))には
勝てないのです。
繰り返しに成りますが、今の日本は縄文時代と同じで、相手(国単位)次第で、
どうにでも成る可能性が有るのです。
弥生時代と同じく、食の自給率が高く成れたら良いのですが・・・。
無理でしょうか?
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